中里税務会計事務所









今年も半分過ぎましたよ〜    いかがお過ごしですか?

沖縄では梅雨が明け、夏本番!!とニュースでは言っておりますが、
やっと大阪は梅雨らしくなって来ましたね

先月は脳トレ。
今月は暑い夏を乗り切るために、心のリラクゼーションとして、
『松下幸之助の大切なこと』   をご紹介します。

麦茶片手に、の〜んびりとリラクゼーションして下さい


ではではどうぞ〜



【あいさつをかわす】

さわやかな朝の空気を胸一杯に、わが家の前の道を清掃する。勤めの早い近所の人が向こうからやってくる。“おはようございます”“おはようございます”。

何気なくとりかわすこの朝のあいさつは、毎日の習慣のように、何でもないことのように思えたりするのだが、私たちは、もう少しあいさつの大切さを考えてみたい。“昨夜はムシ暑かったかったですね”という、お互いにいたわり合う気持ちから出たこのあいさつで、あるいは“毎度お世話になっております”というこの感謝の気持ちから出たあいさつで、お互いの用件に入る。仕事がスムーズに動き出す。誰が考え出したものでもない。私たちの遠い祖先から伝わってきたこのあいさつというものは、いわば

お互いの毎日の暮らしの潤滑油

とでもいった尊い働きを果たしているである。“お暑つうございます”と言ったところで涼しくなるわけではなし、というのは落語の中の話だけにしたいものである。

あいさつにもいろいろあろうが、要は、私たちにはもっと、あいさつというものを大切にしたい。明るく朗らかに、あいさつをかわし合うことを心がけたいものである。





【耳を傾ける】

よく聴こうと思えば、自然に身体が前に出る。耳を傾ける。耳を傾ければ、一言一句がシンシンと胸にしみわたって言外の言すらも、聴こえる思いがする。

だから、人の言葉が、わが身の血となる。肉となる。血となり肉となって、心豊かにさらに新しい知恵がわく。

人の言に耳を傾けない態度は、
みずから求めて心を貧困にするようなものである

どんな賢人でも、その一人の知恵には限りがあって、だから自分の知恵才覚だけで事を運べば、考えがかたくなる。視野がせまくなる。

世の中のあわただしいさに追われて、事を急ぐあまりに、ともすれば一人の知恵、一人の判断で事を処しがちな今日この頃である。

しかしやはり、他人の言はよく聴きたい。どんな人の言葉も、どんな人の考えも、それが真剣であればあるほど、身をんのり出すほどの思いで、よく聴きたい。一人よりも二人に、二人よりも三人に、できるだけ多くの人から、できるだけ多くの聴いて、そしてわが心に養い、わが知恵を誤りなく豊かにしたい。





【何が起こるか】

何が起こるかわからない。右をむいて左をむいて、上を見て下を見て、注意に注意を重ねても、それでも何が起こるかわからない。

それが人生というものであり、それが世の中というものである。まして今日のように時代のテンポが速くなり、世の中が、そして世界が複雑に入り組み合ってくると、まったく予期もしないことが次々に起こってくる。

何が起こるかわからない。
まずそれだけの覚悟を、
お互いにしっかり持っておきたい。


きょうはきのうのつづきで、
あすはきょうのつづきで、
だから
毎日が事もなくつづくとは、

何の保証もないのである。

大切なことは、何が起こっても、まず素直にその事態を受けとめるということである。とらわれた心、私心ある目では、事態の本質を見誤ってしまう。

平穏無事なときならば、いささかの私心もやむを得ないとしても、大事なときのとらわれた心は、それこそ取り返しのつかない一大事を引き起こす。

今日ほど、素直な心の大切なときはないのである。




【世の中】

世の中はなかなか自分の思うようにならないとうけれども、見方によっては、自分の思うようにならない方がいいのかもしれない。

人間は神様ではないのだから、いつも一番正しい考えをもっているとは限らないわけで、ときには自己に執し、他人にとらわれる。そんなとらわれた考えを世の中に押しつけてみたところで、それで通るはずがない。

しかし世の中もなかなか寛大なところがあるから、ある程度までは受け入れてくれる。それでいい気になって調子に乗る。その辺で止めておけばいいものをと思っているうちに、案の定ゆきづまる。ゆきづまってみて、世の中はなかなか自分の思うようにならないと嘆く。もともと自分の考えがとらわれていたのだから、嘆く方がムリである。

もし自分の思うようになっていたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。自分だけならいいけど他人にも大変な迷惑をかける。

世の中はいい先生である。寛大なところはあるが、
最後には正邪をちゃんと弁えている。だから馬鹿にしてはいけない。

筋道の通ったことはやはり通してくれるのである。

なぜ自分の思うようにならないか、世の中を先生に一度よく考えてみたいものである。





【見方を変える】

富士山は西からでも東からでも登れる。西の道が悪ければ東から登ればよい。東が険しければ西から登ればよい。道はいくつもある。時と場合に応じて、自在に道を変えればよいのである。一つの道に執すればムリが出る。ムリを通そうとするとゆきづまる。動かない山を動かそうとするからである。そんなときは、山はそのままに身軽に自分の身体を動かせば、またそこに新しい道がひらけてくる。

何事もゆきづまれば、まず自分のものの見方を変えることである。
案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、
他の見方のあることを忘れがちである。



そしてゆきづまっていたと言う。ゆきづまらないまでもムリをしている。貧困はこんなところから生まれる。

われわれはもっと自在でありたい。自在にものの見方を変える心の広さを持ちたい。何事も一つに執すれば言行公正を欠く。深刻な顔をする前に、ちょっと視野を変えてみるがよい。それで悪ければ、また見方を変えればよい。その内に、本当に正しい道がわかってくる。

模索の本当の意味はここにある。そしてこれができる人には、ゆきづまりはない。お互いにこの気持で、繁栄への道を探ってみたいものである。



【転機】

今までの考え通りで、今までのやり方通りで、それで事がすむならばよいけれども、天地は日に新たであり、人の営みもまた日に新たである。だから本当は、昨日の考えは今日にはもう一変していなければならない。

刻々と新しい考えを生み出し、刻々と新しいやり方で事に処していく。それが自然の理法に則した生成発展への道というものであり、そこにヒ人間としての真の歓喜というものがある。

その歓喜が失われたとき、人の成長はとまり、社会の生成発展もとまる。とまるだけならよいけれど、とまるということはジリジリと崩壊することである。人にとっても社会にとっても、まさに危機と言えよう。

今まで通りではいけないのである。
今まで通りに安住してはいけないのである。

思いを一新しなければならぬ。やり方を一変しなければならぬ。日本も世界も、今日ただいまはそういう時なのである。そういう厳しい転機に立っているのである。

危機とは転機の自覚のないことをいうのである。





【冷静の美徳】

山に登ってガスに包まれて、どちらに行ってよいのやらわからなくなった時は、まず立ちどまり休息し、場合によっては穴を見つけてそこにこもって、体力の消耗を防ぎつつジッとガズの晴れるのを待てという。

そう言われているからそうしようと思うのだが、やっぱりウロウロして傷だらけになって、気力も衰え体力も衰え、ついには倒れてしまう。

不安だからである。ジッとしているのが何とも不安でたまらない。冷静を失った心には、次々と悪い事ばかりが浮かんできて、ジッとしていたらそのまま死んでしまうような不安にかられる。そのうちに幻想のとりこになって、聞こえもしない音が聞こえ、ありもしない道が見えてきたりする。

冷静ほど大事なものはないのである。

人間についての美徳がいろいろ言われるけれど、冷静もまた大切な美徳である。とくに今日のような乱れた世相になってきたら、これが人間の第一番の美徳として強く求められてくる。お互いにこの徳を、どこまで高めることができるか。大事なときである。





【自分の仕事】

どんな仕事でも、それが世の中に必要なければこそ成り立つので、世の中の人々が求めているのでなければ、その仕事は成り立つものではない。人々が街で手軽に靴を磨きたいと思えばこそ、靴磨きの商売も成り立つので、さもなければ靴磨きの仕事は生まれもしないであろう。

だから自分の仕事は、自分がやっている自分の仕事だと思うのはとんでもないことで、本当は世の中にやらせてもらっている世の中の仕事なのである。ここに仕事の意義がある。

自分の仕事をああもしたい、こうもしたいと思うのは、その人に熱意があればこそで、誠に結構なことだが、自分の仕事は世の中の仕事であるということを忘れたら、それはとらわれた野心となり小さな自己満足となる。

仕事が伸びるか伸びないかは、世の中が決めてくれる。世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしてゆけばよい。大切なことは、世の中にやらせてもらっているこの仕事を、

誠実に謙虚に、そして、熱心にやることである。

世の中の求めに、精一杯こたえることである。お互いに、自分の仕事の意義を忘れたくないものである。





【知恵は無限】

人間の知恵というものは、絞ればいくらでも出てくるものである。もうこれでおしまい、もうこれでお手上げ、などというものではない。

“なすべきことをなさねばならぬ”という強い決意の上に立って、正義と勇気に燃えたならば、そこに思いもかけぬ知恵がわき出て、思いもかけぬ道が開けてくるのである。

もちろん、一人の知恵には、そこにおのずから限りがある。しかし、わからぬことは他人に聞くという謙虚さがあったならば、それらの他の知恵がわが知恵の上に限りなく加わって、やはり知恵は無限に広がってゆくと言えよう。つまり、



なすべきことをなすという勇気と、

人の声に私心なく耳を傾けるという謙虚さがあったならば、
知恵はこんこんと湧き出てくるのである。

わが知恵の乏しきを嘆く前に、お互いにこの勇気と謙虚さをあわせ持っていたが、三省、四省してみたい。そして、もうこれでおしまいなどと、安易に言うのはやめにしたい。知恵は無限に湧き、無限に集まるのである。



【責める】

他人を責めるということは、本当はなかなかに容易でない。責められる方も嫌ならば、責める方も決して気持ちのよいものではない。できればお互いに責め合わないでいたいのだけれど、神ならぬ身、時にはやっぱり責めたくもなるし、また責められて気のつくこともある。だから、責める責められるということは、人と人とが寄りあって暮らしていくこの世の中では、避けることのできない一つの人間の宿命なのかもしれない。

そうとすれば、せめてこの宿命をいたわり合うような、心の通じ合った姿の中で、人間らしく責めてみたい。責められてみたい。動物ならかみ合い血を流すしか天与の手段はないかもしれないが、

人間には怒りを愛に変え、
憎いしみをいたわりに変えるだけの心の働きが与えられている。

その心の働きを精一杯に傾きかけてみたい。難しいことかもしれないが、その難しさを知ったうえでの責め合いでありたいのである。しかし、もっと難しいのは、自分で自分を責めるということであろう。

責めるということは、いずれにしてもなかなかに容易でないのである。




【道】

自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。自分だけしか歩めない。二度と歩めぬかけがえのないこの道。広いときもある。狭いときもある。上りもあれば下りもある。坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

この道が果たしてよいのか悪いのか。思案にあまる時もあろう。慰めを求めたくなる時もあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

諦めろと言うのではない。今立っているこの道、今歩んでいるこの道、ともかくこの道を休まず歩ことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。

他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しも開けない。

道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まなければならぬ。


それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道が開けて来る。深い喜びも生まれて来る。




松下幸之助氏が亡くなって今年で20年が経ちます。
この名言は何十年前にお考えになられたのでしょうか・・・・
いさはや・・・現在でも通用するお言葉なのでビックリしています (*_*)
さすが『世界の松下』『パナソニック』を築いたお方ですね・・

最近のニュースでビックリだったのが、
『マイケル・ジャクソン』の死去のニュースです。

このマイケル氏の経済影響も半端じゃない。
ロンドンではコンサートを行う予定で、ホテルや飲食店などで
合わせて“1,000億円”の打撃だそうです・・・
ビッグスターは亡くなってからもビッグなんですね・・・
しかしミステリーな、お亡くなりかたです・・・ミステリー・・・ミステリー・・・ハテナ顔文字素材



今の暑さは序の口。これから本当の暑さがやってきます。
ビールの飲み過ぎにご注意を